今はまだまだ人生を語らず

好きなことや思ったこと、気ままにひとり言を書いてみようかな。

車いす旅行を経験して

 30年近くの友達と旅行に行った。友達K氏は10年くらい前に脳梗塞を患い、2回目の脳梗塞以来ほとんど歩けなくなった。K氏がそうなる前には、飲みに行ったり旅行に行ったり、なんだかんだとよく一緒に遊んだ。家族ぐるみの仲でもあった。
 そのK氏からのお誘いで、私が調べたある宿に泊まる旅行に行った。車の運転は私が行い、K氏は車いすを使い、私はその介助も行う。「ご迷惑おかけします。」とK氏からだけでなく、K氏の奥様からも言われて出発した。
 実際に旅行してみて、日本のバリアフリーの現状が、私には初めてわかった。そういう意味では、私にとっていい旅になった。高速道路のトイレはいい。公共施設もまだいい。それ以外は、「車いすお断り」みたいな施設ばっかりだった。特に、私がインターネットで予約した宿泊施設は酷かった。
 宿泊施設には予約時に車いす利用者がいることを伝えていた。施設からは、下のような連絡を受けていた。
「当館はバリアフリー対応になっておりませんので、館内には段差及び階段がございます。
又、お申込みを頂いておりますお部屋は別館になりますので、お風呂・お食事会場などへのご移動に距離がございます。ご不自由をおかけいたしますがご了承いただけますと幸いです。」
 距離はあっても車いすを押せばいいことだ。段差も階段もそれほど気にすることはないだろうと高を括って出かけたのがまちがいだった。
 K氏の状態は私が思っていたよりも悪く、壁や手すりにつかまらなくては杖があっても歩けない。入口の数段の階段にも手助けが必要だった。また、宿泊施設には本当に多くの段差があった。少しの改善でなくせるような段差もあって、私は施設側がその努力を怠っているように感じた。バリアフリー対応でないことは確かに聞いていた。しかし、ここまでとは…。
 観光地を車いすを押しながら歩いてみて、宿泊施設以上のバリアを感じた。急な坂や階段などのために行けないところが多すぎる。車いすの利用者には本当に冷たい国なのだと思った。問題は、改善の努力だ。今回宿泊した施設では、私たちの様子を見て多くのスタッフが手助けをしてくれた。しかし、手助けがなくても自由に行動できることが大事だ。この施設は大小の段差が放置されたままで、エレベーターすら介護者が乗るのも簡単ではない小さなものだった。車いすを利用する客をまったく想定していないような施設だった。私は申込サイトを通して改善を申し入れた。申し訳なかった、すぐに改善するとの施設側の返信を期待している。

ブログ再開

 2年近く放置してきたこのブログに久々にログイン。しようとしたところ、パスワードがわからない。(汗)どこかに書いていないかと探し回った結果、PC内に残していたのが見つかったので、今これを書いている。
 この2年間、私生活では当然のことながらいろいろと変化があった。コロナとウクライナ侵攻で世の中はもっと変わった。ささやかなことながら、所有する時計も変わった。ロレックスエクスプローラーⅡとチューダーヘリテイジブラックベイは長男に、パネライルミノールアッチャイオとシーマスターアクアテラ以外のすべてのオメガ時計は次男に譲った。
 健康面では、整形外科に通うことが増えた。ビデオゲームをしたことがほとんどなかったので、PS4を買ってみた。レーシングゲームを楽しんでいたところ、ばね指になってしまった。整形外科で親指の根元に注射を2か月ほど続けて何とか治った。PS4はゲオに買い取ってもらった。わずか1か月だった。その後、友達とテニスをして右腕を振り下ろしたはずみにテニス肘になった。ばね指が治った直後に、同じ整形外科で、今度は右肘に注射をすることになった。これも2か月くらい続けて治った。すると、今度は膝が痛み始めた。また同じ整形外科に通って、3か月ほどヒアルロン酸を打ったが、一向に良くならない。効き目がないと判断して打つのを止めた。今は、大腿四頭筋を鍛える運動をしながら、できるだけウォーキングをしようとしている。2年の間に、急速に老化を感じることになってしまって残念だが、何とか抗っている。
 誰が読んでいるわけでもないのに、独り言で近況報告をしている私はバカだなと思う。

チェ・ゲバラの時計

 キューバ革命の立役者であり、革命を成し遂げた後も世界を変えようとして若くしてこの世を去った英雄。自由・平等と正義を実現しようして命をかけた歴史上の偉人として、チェ・ゲバラやマハトマ・ガンディーを深く尊敬している。
   


 ゲバラが身に着けていた時計を自分も着けたいと憧れて調べているが、その結果、1930年ごろのロレックスや1950年代のマーヴィンMarvinだという話を「菅野たけしのウォッチWatch」というホームページで読んだ。ロレックスについてはモデルなどはわからないし、1928年生まれのゲバラが着けていたとすると、その時点で十分にアンティークだったはずで、自分で選んで買ったとは思えない。1950年代のマーヴィンだとすると、値段も手ごろで彼が自分で購入したということもあり得るだろう。キューバのサンタクララにあるチェ・ゲバラ博物館に、彼が生前愛用していたカメラ、辞書とともに、マーヴィンの腕時計が収蔵・展示されているらしい。
 では、マーヴィンのどんな時計だったのか、今、それを手に入れることはできるのか。ホームページによると下のようなモデルだったらしい。


 この時計によく似ているのがMarvin Malton Cusionだ。それほど高価なものではないようだが、新品で購入できるショップを見つけることができない。ヤフオクなども見てみるが、気に入ったグリーン文字盤・グリーンレザーベルトのもの(「frog」と呼ばれている)を見つけることはできない。憧れは憧れのままでいいのかもと諦めかけているこのごろである。